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「花屋だ!」というインスピレーションに導かれ、わずか1年で店をオープン。その後、たった2年で今や知る人ぞ知る人気ショップに育て上げたアソビーナの桂原恵さん。その驚きの行動力と、ファンを惹きつけるセンスの源に迫ります。
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『昔から花屋さんになりたかったのですか?』という質問を、よく聞かれるのですが、
実は、ASOBEENAを始めようと思うまで、ただ一度たりとも考えたことがありませんでした。それどころか、花好きの家族から「絶対に向いていると思うわ」と勧められても、「花なんてキャリアの役にも立たない」と、ことごとく無視していたぐらいです。(笑)
そう、学生時代からキャリア志向というか・・・、今思えばただ世間体を考えて仕事を選んでいた気もします。外資系とか、高層ビルで働くとか・・・。 資格なども、PCの仕事や簿記など、好きだからというよりは、いわゆる“キャリアに役立つ・面接で通用する”ようなものを取っていましたね。だから、“お花で、いい企業には入れない”って。(笑) 今思えば、キャリアって何?って思いますがその頃は若くて、世間のイメージだけが全てだったんですね。 まず学校を卒業してから留学を経て、ドイツ系の国際展示会の主催会社に勤めました。展示会の企画から出展社獲得ための営業、来場者誘致のためのプロモーション、現場の運営までのトータルにマネージメントするのが仕事でした。 父が舞台美術関係の仕事をしてる関係で、小さい頃からミュージカルや舞台を見に行くことが多く、ショービジネスやエンターテイメントという分野に興味があったんですね。 仕事も面白く、外資系ということもあり、若いうちからマネージャーとして仕事をさせてもらっていました。 すごく充実していて、一生懸命仕事をしていました。今思うと、プロモーションの方法や、多くのお客様に対応する仕事の素地はここでの仕事が非常に役立っています。 花屋も“母の日”や“年末”などイベントごとが多いですから。 その後、某大手出版社に転職したのですが、これがまた面白いぐらいに、大失敗で。(笑) 要するに、“給料”だの“企業名”ばかりで選んだものですから。 全く自分の好きなことでもないし、また自分の能力も全然発揮できていないというフラストレーションと、でも選択したのは自分じゃないかという自責の念との間で葛藤に悩まされました。 結局ストレスで体調がボロボロになり、その会社は辞めてしまったのですが、転職しなければよかったという後悔と挫折感がいっぱいでした。 その上、自暴自棄になって、恋愛でも痛い思いをしたり。(笑) 20代の後半というのは、周りを見ても女性は特に悩む時期のようですが、その頃の私も、転職の失敗や体調不良、恋愛の痛手など、まさに人生の“どん底”のようでした。 でも今となっては、その頃の『非常に悩んだ時代』というのがあったことが、花作りにとっても強みになっているように思えます。人生の“喜・怒・哀・楽”がわかってこそ、いい花が作れると思いますから。
転機は、どん底の中、“偶然”にやってきました。
ある日、たまたま見つけた花屋さんで、レッスンも行なっているという案内になぜか興味を惹かれました。それまでいろんなところでお花のレッスン募集を見ても興味が全くなかったのに…なぜその時に限って「やってみようかな」と思ったのか、今でも不思議な程です。2003年10月のことでした。
“オアシス”の存在自体、そこで初めて知りました。それまで自宅ではもっぱら剣山に活けていたので。 また今まで知らなかった多くの新しい品種が出ていることにも感動しました。小さい頃から花には親しんでいたのに「自分は花のことをまだまだ何も知らないんだ!」とわかったことが非常に新鮮で。それがすごく私の興味に火をつけたような気がします。 レッスンは週1回で、ほとんどカルチャー的な内容でしたが、初めて取り組む“アレンジメント”という世界が楽しくて楽しくて。 お手本をカメラに納めて帰っても再び活け直しをしたり、レッスン中に先生を質問攻めにしては先生をたじろがせていました。先生もビックリですよね、のんびりとしたレッスンに、急にガツガツした生徒が入ってきたのですから。(笑) 人生のどん底とも思える不調な時でしたが、花を触っている時は、これ以上ない充実感でいっぱいでした。 実際、他の人は趣味でやっているという感じだったのですが、私の取り組み方はかなり熱心なもので、「花に対する姿勢というものが、私はちょっと違うのかも」と気づきだしました。 4カ月くらいたったある日。レッスンの帰り道、電光石化のように突然ひらめいたのです。「あ、そうだ、花屋だ!花屋しかない!」と。 本当に、その時のひらめきは強烈で、今でもその瞬間のことを覚えています。 一瞬の間に、“自分が好きなこと”、“強みといえること”、“花屋さんにとって必要とされること”、“成功の上で役立つであろうこと”などが、今までの経験・キャリアなどに基づいて、線になって結びついたのです。
開業までの道のりは、今思い出しても信じられない程に“グッドタイミング”の連続。
ひらめきの日のうちに、本格的なスクールを探そうと、習い事情報誌を買い、1ヶ月単位で1日6時間、集中的に学べる学校を見つけて即電話しました。すると、「今月のコースは、本日初日のオリエンテーションが終わってしまったところなので、また来月ですね」とのこと。つまり1日遅かったのです。(笑)
でも、「1ヶ月も待てないんです」と、強引にお願いして、次の日から通い始めました。 その時は、すぐにやらなくてはいけない気がしていたんです。
スクールでのコースは3段階あって、1ヶ月ごとにビギナー、アドバンス、最後でやっと花屋さんに就職するためというものでしたが、私はビギナークラスの段階で「実地も経験しなきゃ」と考えだしました。早速求人情報で探して、ピーンとくる店に、その日のうちにバイクで駆けつけて、交渉しました。「未経験ですが、がんばります。お給料はいりません!」と。まだまともなレッスンすら始めて2週間かそこらなのに、ちゃっかり作品ファイルを持っていって。今は逆に採用する立場ですが、そこまで図々しい子はなかなかいないですね。(笑) こうして学校ではアレンジ・デザインの基礎を学び、花屋さんでは実地・運営を学ぶことになったのです。さらに、ネットで花業界のオフ会を見つけて参加。そこで知り合った花市場の人から、「今、人手が足りないんだ」というのを聞いて、「働かせてもらえませんか」と立候補。 市場でのアルバイトもゲットしたのです。 早朝、市場に3時か4時くらいから行って、その後に花屋に行って・・・という生活が始まりました。 その時に知り合った花業界の人達とは今でも情報交換しながら助けてもらっています。 早朝から夜遅くまで働いていたので、昼休みに花屋さんの脇の道端で寝てしまうことも…通りかかった人に 「大丈夫!? ああよかった!ホームレスかと思った」と声をかけられたり。一応20代の女の子なのですが。(笑)それでも全然構わないくらい、とにかく新しく吸収できることが楽しくて仕方ありませんでした。 5月に新たなチャンスがめぐってきました。通勤中にたまたまルートを変えてみて、現在の店の前を通ったところ、空き物件を見つけたのです。もともと、吉祥寺には強い憧れがありまして、吉祥寺以外考えてはいませんでした。 母校の近くの雰囲気が好きだったので、ぴったりの物件を見つけたことに、信じられない気持ちでした。 慌てて問い合わせをしてみると、すでに先人の検討者が何人もいる、厳しい状況でした。 だけど、私の熱意と、成蹊出身だったということもあって、(笑)、不動産屋さんが優先的に大家さんに話をしてくれたのです。 本当に感謝しています。しかもその上、ちゃっかり家賃もまけてもらいました。 正直、本当はもっと修業をしてからと思っていたのですが、「ここ以上の場所はありえない!」という直感のもとに、契約を決意しました。 初めてオアシスを触ったのが、10月。それから8カ月で、店を持つことになったのです。
学生の時からコツコツためた貯金を開業資金にしました。 店舗契約〜開業までの間、たまたま店の近くで、花の輸入商社での派遣の仕事も見つけたので、そちらでの給料も資金に加えました。借金するのはなんだか怖かったのと、利子の分をお客様に転嫁したくないなと思い、まずはできる範囲で始めればいいやと、極力質素な店作りを目指しました。
内装も全て自分で考えました。内装業者さんに依頼することも考えたのですが、自分の中で、『作業効率だけでなく、作業している姿もエンターテイメントとして、お客様から楽しんでもらえるように』。『男性・女性ともに入りやすい、オープンでスタイリッシュな雰囲気』など、かなり具体的なイメージあったので、それを具現化できるのは、自分しかいなかったんです。 店に置く雑貨もこだわってギリギリまで探して。 前日の夜中までレイアウトの準備に追われてました。全てにおいてギリギリまでこだわり抜いたので、実際に店をオープンできたのも奇跡的。 周りの友人によると「相当の凝り性」みたいですから。(笑) 結果としては、店構えからも自分のセンスを気に入ってくださる方がお客様になってくださっているようです。人任せにしないで本当によかったと思っています。 開業を決意してから1年たらずでオープン。 勢いということもあったのかも知れませんが、不思議と迷いや不安は全くありませんでした。 「私には花屋。そして花も、自分を表現していくれる私を必要としている」という強い思いがありました。 当初から知っている友人によると、「花屋をやるって言い出したと思ったら、次に会ったときには、企画書を持ってきた」って。自分では全然覚えてないんですけれど。必要もないのに店のコンセプトシートとか書いて、友達集めてプレゼンをしてました。 「私、こういう店をやろうと思うんだけれども、どう思う」って。聞いておきながら、もうほとんど決まっていたんですが。(笑)
トントン拍子にオープンしてから、2年半。
思い返せば大変なこともありましたが、全ての面で恵まれていました。
広告などの宣伝は、開店してからまったくしていないんです。 オープンした時も、告知はせず、“こっそり”とオープンしたぐらい。(笑) でもお店に来てくれた方がクチコミで伝えてくれたり、花束を贈られた方が贈る立場になったり、WEBを見た人が法人やディスプレイのお声をかけてくださいったり… 多くの人に知っていただけるようになり、未だに信じられないぐらいなんです。(笑) オープンした当初は、商店街の人が、まるで自分の娘のように応援してくれて。そこら中に“自称アソビーナ広報担当”がいました。 最初は本当に少しずつの道のりでしたが、皆さんのおかげで心強かったですね。 この辺りは穏やかな住宅地ということもあって、みなさんとても感じがよくて優しい方が多いんです。 少々疲れ気味の時は心配してくれたり、夏休みを1ヵ月取るって案内した時も「それはよかったわね。よいバカンスを」って。(笑) 私、ASOBEENAのお客様が、本当に大好きなんです。だから大好きなお客様に心から楽しんでもらえる空間や上質のサービスを提供したいと思っています。 ホテルコンサルをやっている家族の関係で、幼い頃からホテルやレストランに連れていってもらうことが多く、最高級のサービスを肌で学びました。 そつのない動き、笑顔、お客様をいい気分にさせる受け答え… あらゆるお客様の疑問、要望を解決するコンシェルジュは、ホテルマン、ホテルウーマンのあこがれですけど、豊かな知識と教養、そして洗練された対応が必要とされる大変な仕事です。 誕生から、別れの瞬間まで、生活シーンに深く関係していく花屋こそ、どんな疑問も安心して相談できるコンシェルジュのような存在が必要だと思っていました。 だからASOBEENAのコンセプトは、『花のコンシェルジュ』なんです。
花屋って、日々移り変わる美しい花があふれていて、よい香りもして・・・ディズニーランドにだって負けない楽しさがあると思うんです。(笑)
いくら花が好きでも、お客様に楽しさを味わってもらえなければ、花屋失格だと思うんです。
フローリストって最高のエンターテイナーだと思いませんか!? お客様の要望を汲み取って、たくさんの花の中からわずかな時間で、美しいプレゼントが手の中で出来上がるんです。自分の目の前で。そこに笑顔や楽しい会話があったら・・・もう最高でしょう! (笑) 贈る人も贈られる人もその周りの人も幸せできる仕事…フローリストって本当に幸せな仕事だと思います。 小さい頃から、周りを驚かせて喜ばせるのが好きだったんですよ。 母の誕生日に「すっかり忘れてた」ってウソついて、実はプレゼントや食事まで内緒に作っておいたり。そういう感じのサプライズや意外性のようなものが、お花にも必要だと思うのです。 例えば、俳優さんに贈る花をファンの方から依頼された時は、“スーパースター”というグラジオラスを使いました。ケンカしてなかなか許してくれない彼女さんには、とびきりいい香りのする花だけを集めたブーケで、香りから気持ちをリラックスしてもらったり。 オペラ『フィガロの結婚』の公演祝いには“モーツアルト”というカラーを用いてアレンジしました。「これって、“モーツアルト”っていう花なんですって」って、花をあげた瞬間に楽しい会話が弾むことも願って作ったんですよ。
最近になって気付いたのですが、小さい頃から楽しみながらやってきたことが、花づくりの様々なアイデアになっているんです。
祖母や、叔母からはお花だけでなく、茶道や料理も楽しみながら教わりました。 家では毎週「お花の日」「お茶の日」「お料理の日」というのがありました。お茶で “わびさび”の粋に触れて、料理では、美しく・彩りよく盛ることの重要性を教わりました。 美術展にも一緒に連れていってもらいました。特にモネやマティスの絵が好きで、部屋にも気に入った絵が何枚も飾ってあります。 以前、 “静物画を見ているようなアレンジメント“と言われたことがあるのですが、絵画から学んだ色彩感覚が活かされているのかもしれません。 父の仕事の関係で小さい頃から、ミュージカルやお芝居を見ることが出来たのも、この上ない財産。生きた芸術の勉強を“遊び”の中からさせてもらいました。 ミュージカルやオペラって、舞台美術や小道具にいたるまで、一流品の宝庫なんです。生で本物の美術に触れる機会があったというのは恵まれていたと思います。 また楽屋裏で見た役者さんや、スタッフさんのプロ意識。 『見るは天国、やるは地獄』。これ、舞台の世界でよく言われることなのですが、お花だって一緒。(笑) いいものを作るという意気込みや情熱も、この時に教わった大切なことです。 あと音楽もすごく好きで。 映画『アマデウス』に小学生ながら感銘をうけ、一時はモーツアルト狂いにもなりました。父に初めておねだりして買ってもらったのが、『モーツアルト全集』なんです。(笑) “花”と“音楽”。全然関連性のないものと思われるかもしれませんが、すごく共通するものがあります。 オーケストラではそれぞれのパートが重なりあって、ひとつの美しいハーモニーが作られるように、花作りもハーモニーが重要なんです。実際、花作りにはいろんなスタイルがあり、正解というものはないのですが、それぞれの花をすべて生かし、波長がピッタリとあった花というのは、スタイルを超越して、音楽と同様に人の心を打つものだと思っています。
私が目指しているのは、“心に響く”アレンジ。 だからスタイルは、こだわりません。
とても抽象的ですが、人の心に響くものを贈りたい。
心に響き、感性に響く、豊かで魅力的なもの。
まず花を見て、その花が出している波長を感じとって、形作ります。
花というのは、おめでたい場面のお祝いや、悲しい時の慰めのお花とか、人の生活や心の状態に大きく関わってくるので、人間の気持ちへの感受性が非常に大事。 お花を贈る背景には、百通りの背景やドラマがあります。だからフローリストとしては、どんな経験もとても重要だと思います。 いい人に出会って優しくされたということも大切だけれど、同時に、いやな思いをしたり、悲しい目に遭ったりという経験だって、花のアレンジにとってみればいいことだったように思えるのです。 だって、大切な人を失ったことがない人に、真に悲しみにくれる人への慰めのお花なんて作れないですよね。 スタッフや後輩へのアドバイスとしては・・・ 「いい花を作るには、恋をたくさんしてください。」(笑) たくさんといっても、必ずしも数が多いということではありませんから。(爆笑) 好きなひとりのずっと愛しぬくのもステキだし、同性の友達や家族にだって、尊重する思いやりがあれば、深い意味での恋といえるような気がします。 いろんな人と出会って、たくさんのいいことも、悪いことも経験して。 人間の弱さや、ずるさ、そして強さ、優しさを知ることで、心にまで届く花が出来るのではないかと思っています。 フローリストを探すコンテンツフローリストのみなさまへ企業のみなさまへフローリストライフについて |